MFTとは/プロフィール

はじめに

社会人になってから一貫して、20年近く病院の情報システムの販売、導入、メンテナンスに携わってきました。

 

特に介護福祉システムは2000年に介護保険が始まってからずっと関わっていますし、売上総額が億単位の電子カルテシステムでは、200台近くの端末作成、展開作業を1人でやったことも…

色々きつかったけど、相当ノウハウが身につきました。

 

「これは営業課長の仕事なのか?」 と疑問を持たず、やりたい仕事を素直にやってきました。

 

仕事に慣れ、役職も与えられて、大きな仕事を手がけるようになった入社15年目で、クーデターが起こり、60人いた社員が10人へ激減!

 

最終的に、社長とケンカして退職することに…

 

そして2015年、医療系ITベンチャー企業の立上げに参画します。

 

本業のかたわら、不労所得に目がくらみ、仕事でコツコツ貯めたお金をあろうことかFX、しかもトルコリラへ、なんと360万もつぎ込んでしまいました。

 

2017年 9月 追記

含み損は現在▲280万円ですが、今のところ毎月76,600円~92,000円をコンスタントに生み出してくれています。

まあ、これも投資、資産運用の勉強です。これからも「とりあえずやってみる」をモットーに、ガンガン行動していこうと思っています。

 

 

2017年11月 追記

最近、仮想通貨投資を始めました。

主にZaifZaifトークンXEMを中心に積み立てています。

このあたりも、ブログにまとめています

 

 

2018年 6月 追記

ついに恐れてたことがおこってしまいました…

600万円近く積み上がっていたトルコリラが、強制ロスカットに…

詳細はこちらに…

気が遠くなりそうですが、脳みそに刻み込んでおくためブログに残します。

みなさんは同じ過ちをおこさないで…

 

 

MFTってなに?

MFTという言葉はMost Favorite Thing (一番好きなこと)という意味です。

一番興味があることをライフワークにしたい」という単純な発想をコンセプトとしました。

どうすればMFTなライフワークを実現できるか、日々追い求めていきたいと考えています。

 

 

MFTという言葉に対する思い

業務日誌の名前を「Lifework-MFT」とした理由は、別にカッコをつけているわけではありません。

 

まず、このMFT(エムエフティー)、実は会社を経営している友人の会社名になっています。

学生の頃、その友人は「会社を創ってみたら面白いんじゃないか。」というノリで、本当に会社を創ってしまいました。

 

 

私はビビってその輪の中に入ることができず、会社を創ろうとしていた友人を批判ばかりしていました。

一番なりたくないと思っていた新しいことをする人を否定するだけのオジサン思考に染まっていたのです。

私にリスクを取れる度量は全くありませんでした。

 

新しいことに否定的にならず、常に好奇心をもって取り組む大切さを忘れないようにしたい

そのために、この「MFT」という言葉を常に意識したいと考えています。

 

楽しいと思えることに正直に向き合えるようになっていきたいと考えています。

 

2017-12-11追記

この友人、ノリでこんなまとめサイトまで創っていました。

まとめぇーーー2ちゃん

 

この、とりあえずやってみる精神は相変わらず見習いたい。

ついついクリックしてしまうMFTなサイト?ですが、

大人向けの内容が多くて、アドセンスは貼れないみたい…

 

 

価値を提供して、信用を得る

いきなり大きなことはできないので、とりあえずできるところから。

まず、ブログで自分のノウハウを公開することから初めてみることにしました。

 

自分の知識でみんなの役に立つことができたら、そこには価値が生まれます

価値を生んで、信用を獲得することで自由に生きる術を身につけていくと心に刻みました。

 

 

 

管理者プロフィール

MFT※プロフィール欄は常時加筆修正中、思いつきで書いていて長文乱筆です。お時間のある方だけどうぞ

 

闇を抱えていた子供の頃

香川県三豊市の田舎に生まれます。

小さい頃から勉強、運動はそこそこできました。

ただ、嫌なことがあるとすぐに泣いて解決しようとする、嫌なやつでした。

1年に1回は必ず学級委員をやらされていました。

 

それなりにリーダー感はあったんだと思います。

ただ、本人はそれが嫌で仕方がありません。

 

小学6年の時、運動会で鼓笛隊行進の指揮者に抜擢されます。

光栄なはずが、ものすごく嫌で、大泣きして拒否しました。今でもよく覚えています。

(結局、指揮者はイヤイヤながらやり遂げましたが…)

 

また、小学6年間ピアノを習っていました。

教室でピアノを披露するノリになった時、それがものすごく嫌で、やはり大泣きして拒否しました。

自分でもなぜここまで嫌なのか、当時は理解できませんでした。

 

私は、普段は明るくて笑いを取るような動きをしていたため、先生も含めてみんな「社交的なやつだ」と勘違いしていたんだと思います。

しかし、実態はネクラ人前では緊張して自分を出せず引っ込み思案人見知りな性格なんです。

目立ちたいけど、期待はされたくない。」という全く理解不能な精神状態です。

 

感情をコントロールできず、突発的にキレてしまったことも数知れず…

普段は温厚ですが、そういうやつに限ってキレてしまうと見境がなくなってしまいます。

他にも、思い出したくもないような黒い歴史がいくつも…

今でも後悔していますが、友達をいじめてしまったり、急に友達の縁を切ってしまったり…。

…この辺は、改めて少しずつお話していきます。いけるかな……。

 

うわべだけで、心底どうしようもないやつだったのですが、運良く周りに助けられ、それなりに楽しい小、中学校生活を送りました。

 

 

全くプログラミングができない!?

中学卒業後は地元の高等専門学校(高専)の情報工学科に入学します。

 

高専を選んだ理由は、大学の受験勉強が嫌だった、週休二日制だった(高校の普通科はまだ土曜日は半日授業があった)。バイクに乗れたことです。

入ってから気づきましたが、バイトも自由にできました。つまり高専は高校ではなく大学に似ていたため、校則が非常にゆるかったんです。

これは中学まで色々と縛られていた(と感じていた)私にはかなり、魅力的な環境でした。

今でもよくわかりませんが、中学の時に仲の良かった友達と、何故か少し距離をおきたいとも考えていたので、志望する生徒が少なかったこともうってつけだったんだと思います。

 

当時、高専はずっと何年も就職率100%で先輩方は名だたる企業に就職していました。

大学に全く興味がなかった私は早く東京の大きな企業に就職したいと考えていました。

…にもかかわらず、愛媛県の大学(工学部情報工学科)に編入することになります。

 

今思い返すと、プログラミングを専門とする学科を志したのは先見の明がありました。

当時は嫌で嫌でしょうがなかったのですが、ちょうどインターネットの黎明期で、おもしろい授業もたくさんありました。

 

理不尽にオタクな環境を恨んだこともありました。

でも、一番オタクでネクラなのは自分だったと、薄々気がついています。

 

本当に大切なものが見えていませんでした。反省しています。大変もったいないことをしたと後悔しています。

高専、大学と情報工学科に計7年通いつめたにもかかわらず、結局プログラミング一つ満足にできないとは… 授業料を払ってくれた親に顔向けできない……

 

 

高専からの方が大学進学は簡単

実は、高専から大学へは編入学の形になり、センター試験を受ける必要がありません

しかも、諸先輩方が過去受験された過去問や傾向について記録を残してくれているため、出題傾向がよくわかり、非常に対策を立てやすかったです。

高専4,5年はほぼやる気がなく、勉強していなかった私が国立大学へ編入できたのはこの過去問だけを徹底的にやりこんだためです。実力は全くありませんでした。

高専が嫌で大学へ逃げたような形になりました。3回生からの編入だったため単位が厳しく、華やかなキャンパスライフからはほど遠い生活を送ります。

 

 

バイト三昧の日々、将来の伴侶との出会い

不純な動機で入学した大学生活は、やはり実りあるものになることはありませんでした。

明けても暮れてもバイト三昧。昼はカフェレストラン、夜はビリヤード、深夜に交通整理と… いつ大学に行くのでしょうか?

バイトはお金欲しさ彼女欲しさにつきます。大学では人見知りな性格が災いし、転校生状態の教室に馴染むことができません。

 

サークルを3つ入りましたが1日で辞め、早々にキャンパスライフには見切りをつけていました。

ただ、昼間働いていたカフェレストランで現在の妻と出会います

 

 

就職活動に失敗。人生初めての挫折

 

大学4回生になり、就職活動が始まると、地元の地方放送局の就職試験を受けます。

これも、確固たる志望動機があったわけではありません。なんとなく放送局という華やかさに惹かれただけです。根は暗いのに、どうも華やかさに憧れる傾向があるようです。

地方放送局の就職試験は小論文による書類選考→適性検査→1時面接→ディスカッション→2時面接→最終面接と長きに渡ります。何日もかけて試験を受けることになります。

 

一番最初の適性検査には、おそらく100人以上の学生が受けに来ていました。

最終面接に残ったのはアナウンサー志望の方も含めて全部で5,6人です。ここまで来ると、もう合格した気分になっています。

 

しかし、最終面接で見事に落とされました

 

最終の幹部面接で「ハム(無線)技術者の認定試験を受けますか?」と聞かれたときの「受けます。」の回答がウソくさかったことが原因だと本気で思いました。

とにかく、大したアドバンテージもない私が合格する可能性は低いはずですが、当時は人生で初めて大きな挫折を味わいました。さすが面接官の目は確かです。

 

それでも、ゲームをクリアするような感覚で、純粋に就職試験は楽しかったです。

全然技術力がないのに、技術志望で合格できるほど甘くはありませんでした。

きっと最終面接にいた優秀なイケメンで岡山大学卒技術系の方を採用されたんだと思います。

仮に、もし地方放送局に合格していたら、当時の彼女(今の妻)とも別れていたかもしれません。

 

 

地方中小IT企業へ入社。遅刻の常習犯

 

結局、地方の中小IT企業へ入社します。なんと15年間も勤めることになります。

入社当初はとにかく遅刻が多かったです。完全に学生気分が完全に抜けきれていません。

 

あれでよくクビにならなかったと思います。

 

基本的に集中力がなく、人の話をあまり聞いていないためでしょう。

そのため仕事上のトラブルも非常に多かったです。とんだダメ人間でした。

仕事の詰めがあまく、入社後初めて受注したお客様ではリース契約が通らず、どうしていいかわかりません…

ただ、うろたえることしかできませんでした。

 

入社2年目に薬局システム導入という大きな仕事を任された時も、大失敗しています。

秋田に3泊4日で研修を経て、メインで導入を行います。はるばる秋田から支援の方も駆けつけてくれました。

…にも関わらず、薬局オープン初日にシステムが機能しない!! プロジェクトは大炎上!

お客さんの院長も大激怒。上司、社長も夜22時頃に呼び出されて謝罪する始末… 大問題になりました。

 

 

人生を変えた書籍との出会い

 

もともとメンタルは弱いので、失意のどん底です。まだ入社2年目のできごとですが、このころから会社を辞めたくなります。

そのときに、少しずつですが自己啓発本を読みはじめます。

以前から暇つぶしに自己啓発本は読んでいましたが、右から左へ抜けていく感じです。

どんな本を読んだか思い出すことも難しいのですが、人生を変えるほどのインパクトを与えられた本も何冊かありました。

 

 

死ぬまでできないと思っていたこと(1)禁煙」

禁煙セラピーという本を読んで、死ぬまでに絶対できないと思っていた禁煙に成功します。

 

2週間たったあたりがかなりきつかった記憶があります。

なぜ禁煙できたのか振り返ってみると、本に書かれていたこの言葉が一番印象に残っています。

 

「タバコを吸う人は、タバコを吸うためだけに人生を生きている」

 

この言葉を読んで、私の人生はタバコのためにあるような感覚になり、ものすごい不安に駆られた記憶があります。

確かに、美味しい食事をしても、食事終わりのタバコを楽しみにしている。

映画を観ていても、観終わったあとに早くタバコが吸いたいと思っている。

朝起きての一服がないと一日が始まらない。寝る前に一本、タバコを吸わないと眠れない…。吸っていたほうが健康的だ、そうに違いない。

 

私の人生は完全にタバコに支配されていました。

知らない間に、全ての出来事はタバコのためと化していた… これってどう考えてもおかしい…

 

禁煙セラピーのすごいところは、文中に「まだタバコはやめないでください。吸いながら読んでもらって結構です。」と記載があることです。

読み終えた段階で、まだタバコは残っていましたが、それ以降、タバコを吸うことはありませんでした。

そのまま、現在にいたります。

 

 

死ぬまでできないと思っていたこと(2)早起き」

禁煙セラピーと同じ時期に読んだ朝10時までに仕事は片づける。これを読んでから遅刻の常習犯だった私は、朝4時起きの5時出勤に変化します。

 

これは私の中で最も不思議な変化でした。

 

大学時代から体たらくな生活をしていたため、朝はやく起きることが一番苦手でした。

始業時間の8時30分に対して、8時31分に駆け込んでいました(ラジオ体操が25分から始まっています…)。

朝早く起きる意味もよくわかりませんでしたし、「早起きなど仕事のできない人間のやること」と周囲に偉ぶる始末。

仕事のできない人間が言っても全く説得力のない言葉…。

 

本の中で、朝10までに仕事を片付けるための方法が記載されていますが、今読み返すと少し古い感じがします。

特に「テープレコーダに音声を保存して指示を出す」といった内容は時代を感じます。

それでも、当時仕事が遅くて残業が多かった私には、朝10時に既に仕事が終わっている状態が新鮮だったのでしょう。

どんどん本にのめり込み、翌朝から早朝出勤しようと企てます。

ここから退職するまでずっと超朝型の体質に変わります。

 

冬だとまだ真っ暗な5時過ぎに事務所を訪れるようになります。

事務所は静まりかえり、いつもと違う場所に来ているような、変な感覚にとらわれました。

ただ、2日目の朝がかなり眠くて仕方がなかったのを覚えています。あの時よく起きられたなー。

でもタバコの時と同じで、「あと1日たてば楽になるのではないか。」という根拠のない思い込みで続けていると、不思議なもので徐々に体が習慣化してきます。

当初、同僚からはかなり変人な目で見られていました。でも、そんな周りの反応は全く無視していました。

 

何かを変えるのに効果的なのは、極端から極端へ移るのが一番いいのかもしれません。

「極端から極端へ移る」とは、ハシゴを使って上にどんどん登っていく感じ。

上りやすい階段は降りやすいけど、ハシゴである程度上まで登ってしまうと逆に怖くて降りられないと言うか…

ドラゴンボールでいうと、カリン塔をある程度登れば、降りられなくなって上に行くしかなくなるというか…

一旦、思い切って世界を変えてしまった方が良いのでしょう。人間、良くも悪くも習慣になれば、あとは習慣が自分を動かそうとします。

 

それでもどうしても戻りたかったら、すごい降りにくいハシゴでも降りて戻ろうとするんじゃないでしょうか。

その時はその時で、結局気を取り直して他を当たればいいだけですし。

経験的に、中途半端に始めると脳も元に戻りやすいのですが、極端へ走ると脳も混乱して元に戻る方法がわからなくなるようです。

このしばらくメダパニがかった(混乱した)状態のまま、どんどん突き進んで元に戻れなくしてやったのがよいのでしょう。

 

追記:2017年8月29日

会社が変わって今は出勤時間がなくなったため、うってかわって朝は遅くなってしまいました。

少しさみしい感じもしますが、一度早起きの習慣ができると、時間に対する思い込みがなくなるようで、ごくたまに午前3時くらいに出社してボケーっとしていることがあります。

 

 

死ぬまでできないと思っていたこと(3)マラソン」

まさか、自分がマラソンをはじめるなんて夢にも思いませんでした。スポーツは好きでしたが、マラソンは一番嫌いなスポーツでした。

マラソンをはじめてから、自分でも気がつくほど大きな変化が生まれてきます。

マラソンについても書きたいことがいっぱいです。トピックは以下のとおりです(近日公開)。

 

私がフルマラソンにはまってしまった理由

-会社の同僚に誘われ、ノリで参加したフルマラソンで撃沈リタイヤします

 

 

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※随時執筆中です。内容は不定期に更新しています。


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